シャガ

img_1791
春の野の花は、気づかないほど小さくやさしく咲いています。よく見ると可愛い花なのに、名前を知らないものがとても多いです。
シャガは、子どもの頃から名前を知っている花です。
通学路のひんやりした道端にも咲いていた、なじみぶかい花です。
もう少し暖かい頃、咲いていたような気がするのですが、水辺の木陰で見つけました。
img_1793

クヌギの芽

img_1795
春というと桜で、桜が咲くと花見をしなくてはならないような気分になってしまうのはなぜかな、と思いながらも、桜を背景にアールの写真を撮った公園に行きました。
肌寒くて人も少ないせいか、若い桜のアーチはきれいなのに、しーんと静かでした。
水辺の柳の新芽は風にゆれていました。
クヌギも芽吹きのときでした。細くたれている、淡い黄色は花芽なのでしょうか。クヌギの実は、大きいのにドングリよりもずっと早く落ちるのは、きっと、ドングリよりの早く花を咲かせるからなのでしょうね。img_17871

菜の花

img_1778
菜の花の黄色は淡く、景色は春色にそまります。
母にとっては、桜の枝を見上げるよりも、菜の花の方が視野に入りやすいようです。
「春らしい色ね。」などと話していると、「なのはーなばたけぇに・・・・・・」と歌い始めました。私の記憶とは、すこし外れるところもあったのですが、2番まで歌いとおしました。
img_1777
ときどき、「母の世界」はどんななのだろう、と思います。
若かった頃のことの方がより明らかな記憶になっているのはたしかですが、「若い頃の記憶は確か」とも言えません。印象が強かったことが、それぞれ断片になっていて、それを繋ぐ流れは途切れているように見えます。
瞬間瞬間の感覚に狂いはないのですが、いい終わった言葉も瞬時に消え去ってしまうので、訳が分からなくなってしまうのではないかと思います。
最近、母が「だれもいなかった」と繰り返して言うのは、「とても仲良くしてくださった友だちがいなくなった」ということを言いたかったのだと、やっと分かりました。母にとって「いてほしい」のは、一人の友だちだけで、名前も思い出せないその方がいらっしゃらないのは「だれもいない」ことなのでしょう。
img_1775

タネツケバナ

img_17721
白い花が一面に咲いていました。
よく見ると、麦畑でした。
野草の本には「稲の種もみを水につける時期に、花を咲かせるため、この名がついたといわれる」と書いてありました。
一週間前には、見かけなかったのに、どこにでも咲いていました。
img_17713

こぼれ種

img_1742
昨年咲いたクリスマスローズから落ちた種から芽生えた苗です。
親株の周りにいっぱいあって、つい、雑草と一緒に抜いてしまいそうになります。このままでは密生しすぎるので、大きく育てるには植え替えなくてはなりません。
花を咲かせるのは、4年後くらいでしょうか。西日の射さないところがいいと聞いています。4年後のクリスマスローズの群生地はどこがいいのか、あちこち試しているのですが、このまま無計画に植え続けそうです。
こぼれ種が落ちて、そのまま育つ花を花壇の中に定着させるのは、とても手間がかかります。以前、「カーペット・オブ・スノウ」とよばれるアリッサムを植えたら、とてもキレイだったのですが、こぼれ種から芽生えた苗が多くて、必死に間引いたのに予定外のところにまで広がってしまいました。「間引く」ということも好きではないので、種が落ちで育つものは敬遠していたのを思い出しました。