菜の花の黄色は淡く、景色は春色にそまります。
母にとっては、桜の枝を見上げるよりも、菜の花の方が視野に入りやすいようです。
「春らしい色ね。」などと話していると、「なのはーなばたけぇに・・・・・・」と歌い始めました。私の記憶とは、すこし外れるところもあったのですが、2番まで歌いとおしました。
ときどき、「母の世界」はどんななのだろう、と思います。
若かった頃のことの方がより明らかな記憶になっているのはたしかですが、「若い頃の記憶は確か」とも言えません。印象が強かったことが、それぞれ断片になっていて、それを繋ぐ流れは途切れているように見えます。
瞬間瞬間の感覚に狂いはないのですが、いい終わった言葉も瞬時に消え去ってしまうので、訳が分からなくなってしまうのではないかと思います。
最近、母が「だれもいなかった」と繰り返して言うのは、「とても仲良くしてくださった友だちがいなくなった」ということを言いたかったのだと、やっと分かりました。母にとって「いてほしい」のは、一人の友だちだけで、名前も思い出せないその方がいらっしゃらないのは「だれもいない」ことなのでしょう。