友人がアールの絵を描いてくださいました。6号の油絵です。アールの存在感があふれてくるようです。
部屋の片付けはちっとも進まないのに、昨日は、暑い午後汗だくになって家具を並べ替えて壁面を大きくとれるようにしました。その真ん中にアールの絵を飾っています。
こんな風に絵に描いていただけるなんて、アールは犬として幸せな生涯だったのですね。ありがとう。
5週間経ちました。
6月5日、信頼する獣医さんに「肺炎」と診断されたとき、「手放して入院させたら、アールは頑張ることを諦めてしまう」と思いました。でも、酸素吸入をして、変化する病状に合わせて点滴の薬を調整して治療していただくには入院しなくてはなりませんでした。
「治してくださる」と信じたことを、アールに伝え切れなかったのだと思うのです。「なぜ、一緒に連れて帰ってくれなかったの?」「呼んだのに、傍にいてくれなかった。」というアールの声が聞こえそうです。
アールだって若い頃はちゃんと留守番できたし、聞き分けのいい子でした。でも、3年前に病気して以来、心配でひとりで置いておかなくなり、具合が悪いときには夜中も付き添っていました。最近では、姿を見失うと「ワフ」と呼んで確かめるようになっていました。
検査のために病院に預けると、落ち着かずに騒いだそうです。家に連れて帰れる方法はないか考えたのですが、治療をうけるには入院しなくてはなりませんでした。アールと私たちの限界だったと思うのです。
アールのために敷いたカーペットはすっかり擦り切れてしまっています。「掃除と片付けは嫌い」なんていっていられません。
子犬の頃からの写真を整理してアルバムにしました。下の「Picasaウェブアルバムへのリンク」をクリックするとご覧いただけます。
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アールの想い出
10年前の3月下旬、愛媛県寒川から瀬戸大橋を渡ってきて、うちの子になりました。
おとなしくて、いたずらに困らされたことはなかったと思っていたのですが、トイレ用に作った砂場で熱心に植木鉢をかじっている写真を見つけました。
うちに来たときには膝にのせたり、抱いて頬ずりしていたのに一ヶ月に3kgずつ体重が増えていきました。
オスの成犬として群れの頭になりたがる頃、家にいる「赤ちゃん」にも決して逆らってはいけないことを教えられ、無茶をして突進してくる「人間の子」にじっと耐え、そっと遠ざかっていくことを学びました。
いつも階段の上から玄関を見下ろし、家の人の動向をとらえていました。
アールは、私にとって歳相応に幸せな10年間を共にしてくれた素晴らしいパートナーで、家族を思う同志でした。
アールの素直なあどけなさが、強くやさしくなることを教えてくれました。穏やかにそっと背中を寄せてくると、あわ立つ胸の思いがすっと吸い取られるようでした。おっとりと大きく白いフワフワの毛は無尽蔵の包容力と慰めの源でした。
3年前に病気になったときも、手当てに応えるように見事に回復してくれました。とても大きな喜びでした。
寿命があることは承知していても、「いつまでも」と願わずにはいられませんでした。
アールは「もういいでしょ」といったのだと思うのです。