名前から、冬に咲くバラのように、珍重される華麗な花を連想していました。
咲き始めは白い一重の花びらが、だんだん緑色になっていく地味な花でした。 植えてから数年たつのに、株はあまり大きくなっていません。 でも、周りにはこぼれ種からたくさん芽が出ています。 今年最後の、8輪目の花です。
名前から、冬に咲くバラのように、珍重される華麗な花を連想していました。
咲き始めは白い一重の花びらが、だんだん緑色になっていく地味な花でした。 植えてから数年たつのに、株はあまり大きくなっていません。 でも、周りにはこぼれ種からたくさん芽が出ています。 今年最後の、8輪目の花です。
ほんとに、春は桜で始まるのですね。 つぎつぎに咲く花に、気もそぞろになりそうです。
パンジーもチューリップも、華やかな色と姿で、心も明るく楽しませてくれます。 でも、道端で咲くスミレを見つけると、なにか優しく、いいことがありそうな予感と慰めを覚えます。 ちょうど、カワラヒワの声を追って姿を捉えたときに、フッと頬がほころびるのに似ています。
のっそりアールとゆっくり歩くようになって、野の花や小鳥の声に、より親しむようになりました。
灰色で見かけはあまり美しくはないヒヨドリですが、大食漢のムクドリに比べると、美食家なのかもしれません。熟した木の実が好きなようです。 冬の庭の木の実がなくなったら、メジロを追い出して山茶花を食べていました。
今は、木瓜の花を食べています。
初めて この花に出会ったのは、下の子が幼稚園に入った頃でした。 きれいな花を見つけたからと、根から掘ってきて、自分の「かえるかご」に植えていたのです。 お庭に咲いていたのではなく、原っぱに咲いていたのだと言い張っていました。
「かえるかご」は、大きいランドリーバスケットを庭に埋め土を入れたものです。 「捕まえた虫は家に入れない」という約束のために作りました。 必ずしも守られたとはいえない約束でしたが、私の目に触れないように気をつけるという効果はありました。 かえるかごの中の蛙を逃がさずに、新しく捕まえた蛙をかごに入れるのは、難しかっただろうな、と今になって思います。 しょっちゅう、かごのふたを開けて庭で「かえるの運動会」をやっていました。
雑草と一緒に抜けてしまった小さな球根も、土に戻しておけばしっかり育ち、ムスカリは元気によく増えました。 おとなしいようで目を引く花ですね。
冬の間楽しませてくれた花が終わったシクラメンを、家の北側の露地に下ろしたのは、数年前でした。
鉢植えのシクラメンの花を翌年も咲かせているという友人に感心しながらも、手入れもせず半分忘れていました。 毎年、葉は出していても、周りの草に隠れていました。
今年も、いつの間にかシクラメンの葉が伸びていて、根元からつぼみが出てきました。 小さい蕾はなかなか伸びなくて、色とりどりの春の花が華やかな今頃になって、やっと咲きました。
肌寒い日が続いて、膨らんだつぼみを開くときを待っていたのか、桜がきれいに咲きそろいました。
大きく伸びた桜の並木で、影から花を見上げるよりも、広場の周囲や城壁から枝をたらす桜は、陽を受ける花の面が見えて、明るく華やかですね。
まだ知る人が少ない公園で、若い桜のトンネルから、青空を透かし見て、アールとのお花見を楽しみました。
「水辺の里」を通り抜けて、ため池に出ると、見なれない鴨が群れていました。
足音が聞こえるのか、近づくとスーッと岸辺から離れます。 用心深いトリのようです。
アールだって、何を撮ろうとしているのか、ちょっと確かめたかったのでしょうが、カメラマンとの距離をいつもより大きくして、待機しました。
写真を図鑑と見比べました。 嘴を水につけて回っていたし、きっと、ハシビロガモです。
そろそろ旅立ちのときですね。
急に暖かくなったり、また、冷たい風に首を縮めたり、春の訪れは気まぐれですね。 でも、季節は確実に春へと移っているようです。
なかなか暖かくならなくて、寂しかった梅園も、土曜日の午後は梅見の人で賑わっていることでしょう。 いつもの公園は遠慮して、アールが気ままに歩けるようにと、ちょっと足を伸ばしました。
水辺の自然に親しめるように工夫されている公園でした。 洗い立てのアールが、飛び石で足を踏み外して澱んだ水にはまって汚れると嫌なので、木道の方を歩かせました。 洗ったばかりのアールは、白くてふわふわ、一緒に歩くのもちょっとリッチな気分です。
柳が芽吹いて、サンシュユの黄色い花も咲いていました。
畑にサギの大群が降りているのに驚きました。
西側の土手に上って、もっとよく見ようと移動していたら、急に、ワッサワッサと飛び立ちました。
アールが驚かしたわけではありません。 鍬を持った人が畑に入っていったのです。
畑が耕されたので、土の中の虫たちも起こされて、サギが集まったに違いありません。 それにしても、すごい数。 耕耘機が入ったら、ご馳走に与れると分かっているのでしょうか。 サギたちは飛び立つときも、池のほうに行くもの、また畑に舞い降りるもの、遠くへ飛び去るもの、と勝手気ままに散っていきました。 ご馳走をみつけたからと、仲間を呼びそうには見受けられません。 こんなにたくさんのサギが、それぞれに、ご馳走にありつけると集まってきたのでしょうか。
最近、よく「あっ 白くまだ」といわれます。
アールがふわふわになっただけでなく、最近テレビに白熊が登場することが多いようです。
「ライラの冒険」とかいう映画のPRは、白熊に乗って走る映像です。
自動車のアイドリングストップを呼びかけるのにも、白熊が登場していました。
アイドリングを止めるだけで、ほんとうに地球温暖化を防止できると思っているのかしら。
たしかに、アイドリングを止めれば、少しはガソリンを節約できるでしょう。でも、平気で自動車を走らせ続けて、アイドリングだけを止めるなどという生易しいことで、ほんとうに地球の温暖化を防止できると思っているのでしょうか。 アイドリング・ストップは、白熊にかこつけたガソリン高対策に過ぎないように思えます。
自動車を走らせることが、地球温暖化に加担することならば、自動車を走らせることを極力減らさなくてはならないはずです。 ガソリンがもっと高くなったら、人間はもっと真剣に、自動車の使用を控えて、ガソリンを節約するのでしょう。 経済的な痛みに直接結びつかなくては、環境対策は、実行されないような気がします。