空でさえずるヒバリを頑張って撮った写真を見て、思い出しました。
次男の小学一年生の初めての参観日は「こくご」でした。
教科書には、春をえがく文と、ヒバリの絵が載っていました。先生からは、絵を読み解く質問。お母さんヒバリと赤ちゃんヒバリの答えが出て、手を上げる子がいなくなったのに、次男はまだ一人手を挙げ続けていました。
空の小さい点を指して「お父さんヒバリは、遠くの空から見ている。」
ほのぼのとした家族像、とちょっとうれしく思ったのは若かったなぁ。
草原に踏み込んで遊びほうけていた次男、もしもヒバリの巣を見つけたら「宝物」だったことでしょう。家族観とは無関係、「見守っている」と解釈したかったかもしれないけれど、ただ「遠くの空にいる」と言っていたのかもしれません。
空のヒバリがのども裂けよとさえずるのは、自己主張。現に、このヒバリだって、声を限りにさえずっていたから、カメラに収まり、インターネットにデビューしている。