アールは言葉が分かる?

最近 アールは「スリッパ隠し」をしなくなりました。「あら またアール」と非難がましく言われるからか、すぐに見つかってしまって面白味が無くなったからなのでしょう。そんなことを話題にしたあと、「アールが隠したスリッパは 温かかったのよね。」とつぶやきました。

夕食の支度に立とうとしたら、案の定 スリッパが見当たりません。「ははぁん、さては。」 しばらくしてから、温かいスリッパを履くことができました。

アールは、何が話題になっていて、私がどう思っているか分かったのでしょう。それは 言葉を聞き分けたの?

オスカーの写真です。

古い写真に手を加えたら、懐かしい表情が甦ってきました。
オスカーがいた4年間は、家族が大きく変わる時期でした。

家族の入退院が数回あり、結婚式が2回ありました。オスカーが ひとりで留守番しているときに、見たこともない人が「ただいま」と家に上がり込んで パニックになったこともありました。

オスカーは「ぼくが ママの子なんだ」と言いたかったのか、私が持ち帰ったスーパーの袋さえ誰にも触らせないような子でした。「ぬいぐるみ みたい」と言ってくださっても 噛まないかヒヤヒヤもので、こどもには近づかないように散歩していました。

アールは、一日のリズムで居場所を少しずつ変えることまで 見守られています。 おっとりと穏やかなのも当然ですね。

クリのこと その2

クリは、家族とキャンプに行くのは好きでしたが 車に乗るのは苦手で、車内はクリのガスで汚染されてしまいます。湖で ボートに乗っている家族を見つけたときは、思わず水に飛び込んでいきました。一緒に行きたいというよりも、家族を助けようとしたのかもしれません。初めての水の中の必死のイヌカキでした。

家族についていくために 車には我慢して乗ったのですが、家の中では落ち着けなくて とにかく外に逃げだしてしまいました。 クリにとって家族は、一緒に暮らす人というよりも、番犬として守るべき主人だったのかもしれません。

世間知らずのオスカーが、散歩中よそのお庭を覗いて つながれている犬に吠えられると、「うちの子が何か?」と相手を制す威厳がありました。オスカーが亡くなって 甘やかされていたオスカーの世話を焼く仕事が無くなると、クリは急に老けてしまいました。

アールは、子犬なのに どんどん大きくなって クリが庇わなくてもほかの犬から敬遠さるし、遊び相手になるには体力不足でした。クリ小父さんは 一目置いた「ご隠居さん」でした。

ずっと家族を見守ってくれたクリですが、体が弱ってからは 素直に世話をさせてくれて、日向ぼっこのまま亡くなりました。ありがとう。

クリのこと  その1

クリは17年間 私たちと生きてくれました。

クリは、兄弟全員毛色が違う 土着の雑種です。クリーム色なので「クリ」と呼ばれていたのが そのまま名前になりました。家族会議で決めた名前よりも「クリ」のほうがクリらしかったのでしょう。クリは、狐に「飼いならされてはいけないんだ」と囁かれたことがあったのかもしれません。若い頃は よく脱走しました。クリを見つけたら、パン(ちくわや煮干ではなく)を見せると追ってくるので そこを捕まえていました。犬小屋の中の敷き藁を引っ張り出して、雪の上に丸くなって鼻を尻尾に埋めて寝るので、雪にくぼみができました。

ときには自転車で引かれて走り回った故郷を離れたのは、クリが4歳になるときでした。可愛がってくださった お向かいのおじさんに別れを告げて、小樽から敦賀までのフェリーの旅を経験しました。

クリにも生まれた土地を離れた苦労をさせてしまいました。でも、フィラリアにもパルボにも負けずに天寿を全うしてくれました。

アールの誕生日

今日は、アールの8歳の誕生日でした。アールが生まれて、アールとめぐり合えて、うちの子になってくれた喜びをこめて バースデイプレゼントにはブリトロを奮発しました。夕方の散歩は みんなで公園に行きました。

オスカーの思い出

オスカーは、アールがうちに来る半年前に亡くなった アメリカンコッカー・スパニエルの男の子です。コッカースパニエルにしてはおっとりしている方だったと思うのですが、散歩に出たらいつもクリ小父さんに守られていた 内弁慶でした。4年余りでなくなったのですが、いろいろな武勇伝を残しました。

活発に遊んでもらうのが好きで、いくつもゴムのボールを買い換えました。夕食後は一緒に遊ぶ時間でした。階段を転がり落ちるボールを追いかけるのが 好きで、ボールをくわえて階段を駆け上がってくる足音が耳に残っています。遊び疲れて満足するまで 付き合わなくてはなりませんでした。

体の大きいアールは 落ち着いたものです。夕食後には相手になってほしいのは同じですが、一緒にくつろいで 撫ぜられていれば落ち着いています。たまに おもちゃを持ってきても すこし遊んだだけで飽きてしまいます。もっとも アールが はしゃいで跳びついてきたら、私はすっ飛んでしまうでしょう。

畑の中の散歩

寒い朝は アールはなかなか起きてこなくて、散歩にでるのは9時過ぎになります。風もなく霜も解けて ぽかぽかと日のあたる畑の中を歩くうちに、厚い手袋を脱ぎ ネックウォーマーも外したくなります。ゆっくりゆっくり歩くアール。「こんなに遠くまで来るなら もっと早く歩いてよ」と思いながらも、アールと過ごす ぜいたくな時間です。

ヒバリがさえずり、トンビがゆるやかに弧を描いていました。 空を見上げて 気を許しすぎました。アッとリードを引いたのですが アールはセンダン草の中に突っ込んでいました。1センチあまりの針状の種の端はかぎ状になっていて 毛に絡み、針はチクチク突き刺さるのです。

家に帰ってから ブラッシングです。肉球の間にはオナモミも入っていました。散歩とブラッシングと皮膚病の薬塗りで 午前の時間は過ぎてしまいました。

犬との時間

先週の「鉄腕ダッシュ」(日曜日の夜のテレビ)は犬の特集でした。

一度ではとても覚えられない カタカナ名前の珍しい犬が、 ドッグカフェやドッグランなど 都会のペットのデラックス・ライフを紹介していました。畑の中をぶらりぶらりと散歩するアールの世界とは ずいぶん違います。
アメリカでは、服役中の受刑者が犬の訓練をしていました。虐待を受けて心を閉ざした犬が 一瞬で信頼を寄せるのには 感動しました。「じっくり時間をかけて 犬と向き合う」ことが 犬にも人にも大きな力になっているのですね。

「テレビの犬ばかり見てないで」と、アールが鼻先を触れてきました。アールの皮膚病も根気よく 朝晩ていねいに薬をつけ続けなくては 治してやれないようです。

アールの気まぐれ

アールは 今 食欲も充分。最近の餌は寒のサバとブリのカマがメインです。野菜を食べやすくするために 冷凍のラムの細切れ肉少々と一緒に炒めて 加えているのですが、ラムだけ残すようになりました。

ドライフードのときからラム肉ベースのものを使っていました。下痢が続いたとき「生肉を食べさせたら 一度で治る」という おじいさん獣医の言葉で食べさせたのも、生のラムでした。このときは、マグロの刺身は一切受け付けず、お腹が治ったら 生のラムの肉も一口も食べませんでした。アールはいつものドライフードだけが自分の餌だと思っていて、体に必要だと感じ取って生肉を食べたのだろうか、と感心したものでした。

一年前に 餌を魚に切り替えたときには、「やっぱり 魚が体にいいのが分かるんだ」と思ったものです。今、ラム肉を残したからといって、「肉より魚のほうが体にいいのが分かるんだ」なんて思うのは、犬バカすぎますね。きっと冷凍肉の口当たりが気に入らないのでしょう。残すのに与える必要はないので、ラム肉は止めて 野菜は魚の脂に混ぜています。食べ物の嗜好は 気まぐれですよね。

ご近所のピレ

ジョリーお姉さんとは 子犬の頃からのお知り合いで、おうちのそばを通るときにはいつも声をかけてくれます。モモちゃんの家はちょっと離れているのですが、ときどき散歩で出会います。とても恥ずかしがり屋の年下の女の子です。公園の近くのピレ君は、夏にはとても弱っていました。ご近所のピレさんがだんだん少なくなってきています。

昨日の朝 初めて出会ったピレ君は、8歳で家から5分ほどのところに住んでいました。アールも もうすぐ8歳なのですから、8年近くご近所にいながら 知らずにいたのです。じつは もっとたくさんピレさんがいるのかもしれませんね。

用水を間に挟んで大声で立ち話したあと 散歩を続けたら、アールは何度もピレ君を振り返っていました。友だちになりたかったのでしょうか。