木瓜

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木瓜の花が咲き始めました。
母は寛容とは言いがたい人でした。
「頭がいい」というのが価値の高い賛辞で、「ボケている」と言うときには、蔑むひびきがありました。
ボケることを嫌い、俳句も文章教室もコーラスもパッチワークも、「ボケ防止」と励んでいました。
それなのに、認知症が進行していきました。
受け入れがたく、苦しかったのでしょう、対応する側も困らされました。
それ以来、この花も「ボケ」とよびにくくて、きれいに咲いても歓迎の度合いも低調です。
木瓜は、中国原産で、漢名「もっか」から転じた呼び名だそうです。
木瓜のことは、モッカと呼ぶことにしようかな。

くぎ煮

2月末から3月初めが、いかなごの時季です。
昼過ぎには、いかなごを炊く特有の匂いがただよってきます。
スーパーでは、入荷時刻が表示されて、1kgずつパックされて店頭に並べられるのを行列を作って待ちます。30分もない待ち時間ですが、見ず知らずのもの同士の情報交換の場で、人により炊き方は面白いほどさまざまです。
レジでは、いかなごを入れた籠に前後はさまれた人が、友だちらしいレジの人に、いかなごを炊かない言い訳をしていました。
運良く、前日より300円安くなった日に買うことができました。日を追って、いかなごは大きくなり、値段も下がるのですが、今年は急なこの寒さのせいか、また、400円も値上がりしていました。
去年は、不漁で価格が2倍になったので、くぎ煮は作りませんでした。暖冬の影響だったようです。
限られたこの時期だけに獲れるイカナゴ、気候(海水温?)にとても敏感に左右されるようです。旬だからこそ、手ごろに美味しくいただけるのだと痛感します。
いつまでも、この季節の風物詩を味わい続けたいと願います。

ヴィオラ

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なんとなく、薄紫色の花を集めてしまいます。
鉢いっぱいに、この色の花が咲いてくれるだけで十分なのですが、耳にはさんだ寄せ植えにしてみようと、アネモネの球根と一緒に植えてみました。
ちょっと欲張りすぎたようで、今さかりのはずのヴィオラは、アネモネの葉で押されて窮屈そうです。枯れた花柄を掃除しながら、根元に空気を入れてあげたかったのですが、手がかじかんで折ってしまいました。

西京漬け

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しょうまくんは、ときどき「今日のごはん、なぁに?」と聞きます。
「今日は、西京漬けよ」、「?」「どんな食べ物?」
次に会ったとき、「ねぇ、あのなんかムテキみたいな食べ物、食べた?」
「えっ、ムテキ?」・・・・・・サイキョウづけを「最強」と聞いて、「無敵」だったのね。
最強(無敵)な食べ物を食べたら、どんなになる(変身する?)のか確かめたかったのかもしれません。
心温まる笑いをプレゼントしてもらいました。以来、うちでは西京漬けは、「ムテキな食べ物」とよんでいます。
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2・3日してから美味しく食べられるので、かたまりの肉が安いときとか、まとめ買いの魚料理として、西京漬けにしておきます。
鶏もも肉や豚肉は、火が通りやすい厚さ(8mmくらい)に切ってかるくたたいておきます。魚は、鮭とか鰆の切り身があいます。
白味噌をみりんで柔らかくした中に、かるく塩をした材料の水分をふき取りながら、一つ一つ並べて、上にラップをかけて空気に触れないようにしてから容器のふたを閉めて、冷蔵庫に入れておきます。
二晩置いた位が食べ頃、香ばしく焼いていただきます。

本を買う

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誕生日のお祝いに、本をプレゼントしようと思いました。
子どもの本に疎くなっているので、新聞の書評を読んで書名をメモしていきました。棚にびっしり並んでいる本に、私が選んできた本は見つかりませんでした。親切に手伝ってくださった店員さんも「朝のうちに、どなたかがお求めになったのかもしれません」とのこと。
探しているうちに、贈りたいと思う本をどの棚で探せばいいのか分かってきました。
いわゆる「子ども向けの本」とはちょっと雰囲気の違う『ファーブル昆虫記』をプレゼントに選びました。8巻全部そろえてプレゼントできたらいいのですが、私に持ち帰れる重さ(?)にとどめ、気に入ったら追加してもらうように言葉を添えました。
なんだか私も読みたくなる雰囲気の『ファーブル昆虫記』でした。
圧倒されそうなほどの量の本ですが、手にとって見ると、森の倒木とキノコの本とか、生存の危機にあるシロクマを丁寧に描いた本とか、地球の多様な生命をいつくしむ本がいっぱいでした。
ふっと、今まで買ってきた本には偏りがあったと思いました。
編み物の本は、価格を気にせず「欲しい」と思ったら迷わず購入していました。
探偵小説は、移動中の乗り物の中で手放せないものとして、抵抗なく買っていました。
「これからは、自分のための本を集め始めてたいな」と思います。

ささえてくださる方々

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母に会いにいって、いつも感心するのは、施設職員の気持ちのいい応対です。
身体の不自由な入所者も多いので、毎日の仕事は重労働だろうと思います。でも、私が帰
るときには「ありがとうございました」とさわやかに挨拶して送ってくれます。
今、母を担当してくれているのは、ちひろさん。しっとりと落ち着いていて、母の健康状態や言動を細やかに見ていてくださいます。
今はもう、この施設を去られていますが、母を施設にお願いするに当たって、大きな力をいただいた方がいました。
デイ・ケアからの長いお付き合いで、一時期、「きつい言葉で、周囲の人を泣かせてしまうので、ここでは世話できません」と言われたこともありました。他の施設を回ってみても、彼女ほど母の気性をきちんと把握してくださる方はありませんでした。
入所した当初、「こんな方もいらっしゃるのか」と思うほど穏やな方と同室にしてくださったのも、彼女の配慮だったに違いないと、今も思っています。まるで魔法のように母は落ち着き、大切な友だちをいただきました。

朝寝

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ベットの中で聞きなれない小鳥の声を聞きました。障子を開けたら逃げてしまうでしょう。
シジュウカラかしら・・・
コツコツと聞こえるのは窓の下のオリーブにコゲラが来ているのかも・・・
明け方まで寝付けなかったので、ベットのぬくもりから離れがたく、見えないのをいいことに、いろいろ想像していました。
間違いをきちんと指摘して諭すのが苦手です。
唖然とした言動にも、言葉をのんで庇ってきてしまったと思います。
十年以上、厳しさを忘れて、甘やかし続けていたのでした。
初めての苦言に、過剰に反応している。
しばらく静観するかな・・・ここでも黙っていないで、的外れな反論をいさめなくてはいけないのかな。

母の言葉

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母の言葉には、翻弄され続けてきたように思います。
私を見て「きれいね」と言う半分は、身にしみついている社交辞令。
母は、人と接するための言葉を操り続けていたと思うのです。「嘘ではなくても正直ではない。」本心をずらして表現している言葉を、そのまま真に受けてはいけないと学ぶまで、痛い思いもしました。
自己制御の縛りが緩んでくると、機嫌のいいときには、だれかれかまわず自慢話を始めました。かなわなかった夢も、いつの間にか華やかな手柄話になっていました。
そんな母が、「さみしい」と言いました。率直な気持ちを表現した言葉が、わたしには新鮮でした。

薄化粧

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昨日は、母に会いに行って「面倒くさくて、くたびれた」と思いました。
ちょっと寒いけど、梅を観にいきました。
「今日は誰もいなかった」と言うので、「みんなで一緒にタオルたたみをしていて、全部キレイにたたんでから来たでしょ。」「おお、そうじゃった。」と言うのも束の間、また、「今日は誰もいなかった」と繰り返し続けます。
どこかで引っかかっているように繰り返す言葉が「誰もいなかった」のこともあれば、「ご飯を食べていない」とか、「何歳になったのか」の日もあります。こんなときは「そうだった」と答えていても、何も耳に届いていないのです。
「梅が見ごろね」と言っても、視線を追うと梅の木は眼に入っていません。視野が開けて、なだらかな梅林が見渡せるところでは「ほーたるのやどは・・・」と歌い始めました。「夏の歌ね。」風は冷たく、ちっとも夏らしくないのに、「いいきもちだから。」
会話は、ちっともかみ合いませんでした。
でも、日ごろはUVカットのクリームだけですが、母に会いに行くときには、髪をシニョンに結いなおし、薄く化粧もします。
気紛れではあっても、ときに、しげしげと私の顔を見て「きれいね」なんて言うのは、母だけですから。

さえずるヒバリ

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空でさえずるヒバリを頑張って撮った写真を見て、思い出しました。
次男の小学一年生の初めての参観日は「こくご」でした。
教科書には、春をえがく文と、ヒバリの絵が載っていました。先生からは、絵を読み解く質問。お母さんヒバリと赤ちゃんヒバリの答えが出て、手を上げる子がいなくなったのに、次男はまだ一人手を挙げ続けていました。
空の小さい点を指して「お父さんヒバリは、遠くの空から見ている。」
ほのぼのとした家族像、とちょっとうれしく思ったのは若かったなぁ。
草原に踏み込んで遊びほうけていた次男、もしもヒバリの巣を見つけたら「宝物」だったことでしょう。家族観とは無関係、「見守っている」と解釈したかったかもしれないけれど、ただ「遠くの空にいる」と言っていたのかもしれません。
空のヒバリがのども裂けよとさえずるのは、自己主張。現に、このヒバリだって、声を限りにさえずっていたから、カメラに収まり、インターネットにデビューしている。