小学校3・4年の頃、母に教えられながら靴下を編んだ記憶があります。誰の靴下だったのか、同じ大きさのペアが仕上がったのか・・・・・・ただ、かかとが膨らんでしまって不細工なのが気に入らなかったことだけ覚えています。つま先の目を立てる減らし目や接ぎ目が分からなくなるメリヤス接ぎなど 毛糸編みを美しいと感じ始めたのは この頃だと思います。
手袋、帽子、マフラー、ヘアバンド、中学・高校時代は自分ものだけでなく、いろいろなプレゼントを編んで楽しんでいました。太い毛糸で細編みにした「ドングリ」とからかわれた帽子。長女が生まれたとき、叔母が返してくれた従妹の誕生祝のケープとレギンス。
子どもから手が離れる頃からは、自分らしくオシャレするために編みました。本に載っているものを そのまま編むのではなく、自分流に作りました。手持ちの毛糸を何とか生かそうと工夫したものは、新しい毛糸を買い集めて作ったものより 面白いものができました。手間をかけたものは丁寧に手入れするので、いつまでも変わらずに楽しめます。



家の近くの横断歩道には黄色い旗を持ったお母さんが二人立ちます。帰りが少し遅くなって、横断歩道の向こうの集合場所には子供たちが集まりはじめていたので、すこし先で道路を渡ろうとしたのですが、「いつもここで渡るでしょ」とアール。子供の集団の中に入りたくなかったので、リードを引いたら座り込んで抵抗して、引っ張っても押しても動きません。子供たちとお母さんに笑われて、飼い主の威厳もなく「すみません」と横断歩道を渡らせてもらいました。アールも私の足元にぴったり寄り添って「だって おうちに帰るのはこの道なのだもの」と言いたげに、下を向いて足早についてきました。