昨日、「立春にしては寒い・・・」とメールに書いたら、夕方、娘から「今日は節分で、立春は明日」という書き出しの返信がありました。
たしかに立春は今日だけど、「まあ、そのくらいいいじゃない。」
「若い」といわれることが最高の賛辞で、老いることと戦い続けたような母を見ていたので、私は「歳相応に老いも受け入れたい」と思っています。だから、ちょっとの言い間違いやぼんやりしている自分を大目に見てしまうようになってきているのかもしれません。
娘の厳しさに、「『曲げられない女』にしても、もうちょっと可愛い気のある言い方にして」と言いたくなるのですが、私はまだまだ、「ビシッ」と突っ込みたくなる目の上の瘤なのでしょうか。