スーパーにイチジクが出ていました。
去年のこの時期、イチジクのコンポートを作ってみたら、意外に美味しいので、形が悪くて値引きされているイチジクを見つけては、さんざんコンポートにしていたのを思い出しました。
冷たい口当たりにほっとしますし、何よりもほんのり赤く染まったシロップが美味しいのです。
作り方は簡単です。
洗ったイチジク6こをぴったり合う鍋に並べて、ひたひたに水を入れ、グラニュー糖100gくらいとレモン汁(瓶詰めのレモン果汁でOK)大匙1位を加えます。香り付けにシナモンスティックを使いましたが、ローリエでもクローブでもコショウでも手近なものを使うといいと思います。紙蓋をして火にかけ沸騰したら、火を止めてそのまま冷まします。冷めてから煮汁ごと冷蔵庫に入れ一晩置いたら食べられます。
「借りぐらしのアリエッティ」
夏休みになったので、小さい同伴者を二人誘って、「借りぐらしのアリエッティ」を見てきました。
緑豊かな背景描写に和み、懐かしいストーリーを心ゆくまで楽しみました。
娘が小学生の頃この本を読んで、家にも「カリクラシ」が住んでいるに違いない、と戯れていました。
整理整頓の整った家ではないので、細かいものをよく見失い、スプーンが減ったな、と思ったら「カリクラシがスコップにしているんじゃない?」という調子でした。無くなったものが、カリクラシにとってどんな道具になるのか考えるのもゲームの一つのようでした。
アニメーション映画を可愛い同伴者と楽しんだだけでなく、懐かしいタイムトリップでした。
梅干し
三日間、よく晴れ暑い日が続きました。
昨夜は、夜干しして「三日三晩の土用干し」を終えました。
優しい色に染まった梅は、ほわっと柔らかで、耳の下がきゅんとするのですが、でもなんとなく甘い香りが広がっています。
紫蘇に染めただけでなく、干すにつれて赤みが濃くなりました。でも、一緒につけて干しているのに色づき具合は一つ一つ違います。梅の実の熟れかげんの違いなのかもしれませんが、色づきだけでなく硬さもしぼみかげんも、一つ一つの梅それぞれです。
何のおまじないなのか知りませんが、仕上げに晩酌の焼酎をおすそ分けして、たっぷり噴霧して壷に収めました。
まぁるいキノコ
朝からよく晴れて、光と影のコントラストのまぶしい朝でした。
たっぷり降った雨に流されたのか、用水路の中に生えていたミズガラシは跡形もなく、流れに負けずに立ち上がっているのはガマのような大きな草でした。
トンボを見つけ、土手の上にはススキが光っていて、季節が変わったのを感じました。
今日ならきっと乾くと、冬のカーペットをざぶざぶ水で洗い、風呂場も気が済むまで掃除しました。
紫蘇に染めた梅も、盆ざるに並べて「土用干し」です。
一息つく前に、室内の鉢にも水をやっていたら、ポトスの鉢に小さくて丸い白いキノコが生えているのを見つけました。
ズッキーニ
中途半端に皮をむいたのではないのです。黄色と緑のツートーンカラーで軟式ボールくらいの大きさです。
スーパーの地元農家の野菜のコーナーにあって、サインペンで「ズッキーニ」と書かれていました。
よく目にするのは、キュウリのような形のものです。先日いただいたズッキーニを皮のままバターで焼いて食べたらとても美味しかったので、珍しい形に誘われて買ってみました。
「ズッキーニはイタリアの夏野菜で、カボチャの一種です。色は緑または黄色で、花が咲いて4~6日までが皮も柔らかく実もしまって最も美味しい時期です。熟しすぎると苦味が出てきます。調理には手間も時間もかかりません。蒸しても、茹でても、炒めてもいいし、また、焼いても、揚げても、そして大きめのものは詰め物をしてから焼いても美味しく食べられます。」と、パスタの本に書いてありました。
ヒナキキョウソウ
いつも手入れが行き届いている公園なのですが、芝草がすこし伸びていました。その中に小さい青紫色の花が咲いていました。
「茎は直立してあまり分岐せず、高さ40cmほどになる。葉は卵形で低い鋸歯がある。春から夏にかけて直径5mmほどの紫色の星形の花を一つずつつける。・・・北アメリカ原産で、関東地方以西の市街地の道端などで散発的に見られる。」と説明されているヒナキキョウソウ(別名ヒメダンダンギキョウ)のようです。
よく晴れて風もない水辺の公園はさわやかでした。母も気持ちよいのかご機嫌で、ハイテンション。むかしばなしをしていると「ニューヨークにも行って、学校で英語の勉強をしていたから、話もちゃんとできたのよ。」と得意気にしゃべります。「いえいえ、ニューヨークには行っていないし、あなたが勉強したのは和裁でしょ。」と切り返したくなります。
「かくあれかし」と願った夢を温め続けている、と微笑ましく受け入れられるようになるのはいつのことでしょう。まだまだ、調子のいい作り話にイラッとしてしまいます。
ミシンを買いました。
ミシン縫いが苦手で、糸がつったりもつれたり、使っていたミシンが調子よく動かなくなって以来、なんでも手で縫うことにしていました。
心境の変化というほどでもないのですが、「ミシンってやっぱり便利かな。一家に一台ミシンがあってもいいよね。」というほどの気分で、ミシンを買ってしまいました。
もちろん、ピカピカの新品でなくてもいいから、なるべくシンプルで分かりやすいものにしました。
コンピューターミシンというのは、ちょっとでも変なところがあると動かないので、正しく安全運転することになる仕組みなのですね。ゆっくり慎重な動きにも、ちゃんとフォローしてくれます。「コンピューター」とつくと使いこなせないのではないかと不安でしたが、意外に優しい道具でした。
まず、三つめのアールのクッションの中袋を縫いました。手縫いでは針がきしむ目のつんだ布も楽に袋縫いにできました。お気に入りの古いティーシャツで作るカバーもジャージ縫いでバッチリ。
楽しみが、またふえました。
(写真はスカビオサ、マツムシソウの仲間です。)
和服を解く
タンスで眠っていた和装のオシャレコートを解きました。
二十歳前の私に母が縫ってくれたものです。
このままの形では、だれも着ることはないでしょうし、役目を果たしたと思えるほど手を通した物なので、解いても惜しくありません。
「まっすぐな背筋は、ミシンを使って縫う」と、母はよく言っていたのに、全部手縫いでした。返し縫いに千鳥がけ、細かく丁寧に縫ってありました。
解くほどに、「自分が親にしてもらったように、タンスに着物をそろえて嫁に出さなくてはならない。」という母の思いいれがうかがえました。
大学を卒業する頃、「後悔することになるのかもしれないけれど、今やりたいことをさせてほしい。」と頼んだとき、父は折れたのに、母は承服しませんでした。
すっかり忘れてしまっていたことが、小さな針目から蘇りました。
赤いけれど、ワンピースにでもりホームしたいと、本からデザインも選んだのに、慣れない裁縫は、なかなか手が進みません。
恐い看板
近くのため池の土手の上にある看板です。
一緒に歩いていたしょうまくんが、急に立ち止まり「マムシって、なぁに」と聞いたのは、幼稚園に通っていた頃でした。
毒ヘビだと説明して、「茂った草の中に入っていってはいけないのよ。」と教えました。
すると、私の手をしっかり握ってあとずさりし始めました。車の通行も多い道なので「危ないから、道の端を歩こう。」と、マムシは車の走る道路には出てこないこと、まだ寒いから蛇は冬眠していること、看板は「畑の中に入ってこないでください」という意味だということなどを説明しました。
でも、「恐い」という気持ちは薄らがないようでした。たしかに、看板の蛇の目は恐いし、歯もギザギザです。
幼稚園から家までの近道だったのですが、卒園するまで、二度とこの道は歩きませんでした。
「危ない!」という警告として、恐い絵は期待以上の効果があったようです。
道端の水仙
運動公園に行くときは、ちょっと遠回りでもこの細い道を歩きます。
雨が降る前だったからか、スイセンが強く香っていました。
敷地内でもない道端に並んで咲いているスイセンに、地についた、つつましい豊かさを感じます。辺りの景色全体が和むようです。
帰途には思わず二束、花を買ってしまいました。
一週間前の花もまだ元気なので、スイセン、フリージャー、キンギョソウと家の中は花いっぱいになりました。