歩いてます。

イソシギさあ、万歩計をかばんに入れて、出発。
今日は、北に向かいます。
飛びたたったイソシギについて、用水にそって曲がりました。水中には大きな魚、コガモもいました。水の流れは自然を感じさせてくれます。
畑の中の用水に沿った道は、柔らかい草の感触です。どこまで行っても、元気だったアールと一緒に歩いたことのある道です。
大きなシラサギ、ゴイサギ、ツグミ、ヒヨドリ、ケリ、シメ、ジョウビタキ、メジロ、もちろんハトやスズメもたくさんにました。なにやら長いものをくわえていたカラスは、葉を落とした木の枝の間に巣を作っているところでした。
午前中の方がトリが多いのか、それとも、さらに一歩春に近づいているのでしょうか。
『沈黙の春』じゃないよね、と言いたいほど、たくさんのトリに会えました。

朝寝

img_0483
ベットの中で聞きなれない小鳥の声を聞きました。障子を開けたら逃げてしまうでしょう。
シジュウカラかしら・・・
コツコツと聞こえるのは窓の下のオリーブにコゲラが来ているのかも・・・
明け方まで寝付けなかったので、ベットのぬくもりから離れがたく、見えないのをいいことに、いろいろ想像していました。
間違いをきちんと指摘して諭すのが苦手です。
唖然とした言動にも、言葉をのんで庇ってきてしまったと思います。
十年以上、厳しさを忘れて、甘やかし続けていたのでした。
初めての苦言に、過剰に反応している。
しばらく静観するかな・・・ここでも黙っていないで、的外れな反論をいさめなくてはいけないのかな。

母の言葉

img_1711
母の言葉には、翻弄され続けてきたように思います。
私を見て「きれいね」と言う半分は、身にしみついている社交辞令。
母は、人と接するための言葉を操り続けていたと思うのです。「嘘ではなくても正直ではない。」本心をずらして表現している言葉を、そのまま真に受けてはいけないと学ぶまで、痛い思いもしました。
自己制御の縛りが緩んでくると、機嫌のいいときには、だれかれかまわず自慢話を始めました。かなわなかった夢も、いつの間にか華やかな手柄話になっていました。
そんな母が、「さみしい」と言いました。率直な気持ちを表現した言葉が、わたしには新鮮でした。

薄化粧

img_1714
昨日は、母に会いに行って「面倒くさくて、くたびれた」と思いました。
ちょっと寒いけど、梅を観にいきました。
「今日は誰もいなかった」と言うので、「みんなで一緒にタオルたたみをしていて、全部キレイにたたんでから来たでしょ。」「おお、そうじゃった。」と言うのも束の間、また、「今日は誰もいなかった」と繰り返し続けます。
どこかで引っかかっているように繰り返す言葉が「誰もいなかった」のこともあれば、「ご飯を食べていない」とか、「何歳になったのか」の日もあります。こんなときは「そうだった」と答えていても、何も耳に届いていないのです。
「梅が見ごろね」と言っても、視線を追うと梅の木は眼に入っていません。視野が開けて、なだらかな梅林が見渡せるところでは「ほーたるのやどは・・・」と歌い始めました。「夏の歌ね。」風は冷たく、ちっとも夏らしくないのに、「いいきもちだから。」
会話は、ちっともかみ合いませんでした。
でも、日ごろはUVカットのクリームだけですが、母に会いに行くときには、髪をシニョンに結いなおし、薄く化粧もします。
気紛れではあっても、ときに、しげしげと私の顔を見て「きれいね」なんて言うのは、母だけですから。

あしかけ17年

20100217095826
編みかけのまま眠らせていたセーターを完成させました。
80%シルクの糸を10玉買ってあったので、セーターを編んだ残りで、べつ衿とマフラーが編めました。
たっぷりのオフタートル、流行のマフラースタイル、涼しく衿なし、と3通りに楽しむことにします。

さえずるヒバリ

img_1705
空でさえずるヒバリを頑張って撮った写真を見て、思い出しました。
次男の小学一年生の初めての参観日は「こくご」でした。
教科書には、春をえがく文と、ヒバリの絵が載っていました。先生からは、絵を読み解く質問。お母さんヒバリと赤ちゃんヒバリの答えが出て、手を上げる子がいなくなったのに、次男はまだ一人手を挙げ続けていました。
空の小さい点を指して「お父さんヒバリは、遠くの空から見ている。」
ほのぼのとした家族像、とちょっとうれしく思ったのは若かったなぁ。
草原に踏み込んで遊びほうけていた次男、もしもヒバリの巣を見つけたら「宝物」だったことでしょう。家族観とは無関係、「見守っている」と解釈したかったかもしれないけれど、ただ「遠くの空にいる」と言っていたのかもしれません。
空のヒバリがのども裂けよとさえずるのは、自己主張。現に、このヒバリだって、声を限りにさえずっていたから、カメラに収まり、インターネットにデビューしている。

メジロの婚活

img_1706
今朝のメジロは、ハイテンション。
小さいからだから、途切れる間もなく、精一杯声を張り上げています。
春。エネルギー、生命の継承。
睦まじいペアになって、いっしょに山茶花にきてね。
そういえば、スズメも大きい群になって竹藪で騒いでいました。ムクドリも群の中で婚活中?

愛しくおもうこと

fh020025
アールの写真の中で、最近ほほえましく思うのが、この写真です。
一生懸命こっちにくるけど、「前が見えないでしょ。」
子犬の頃だけでなく、大きくなっても無頓着にワッサカワッサカ進むアールでした。散歩のときには、汚いもの危ないものを踏みつけないように足元に気を配り、前後からくる車、すれ違う人も気にかけていました。
犬と暮らすことを懐かしく思っても、もう、アールのようには付き合えないと思うのです。

ランチョンマット

20100214094411
給食米のカドミューム汚染の新聞記事がありました。汚染された土壌を浄化するのはほんとうに大変なことでしょう。環境汚染は恐ろしいこととつくづく思います。
「カドミュームはなぜ毒なのか」という話から、元素の周期律表の話になり、出てきたのが、このランチョンマット(ランチマット?)です。
むかし、ペン字を書くとき、普通の下敷きよりも大きいのが便利で使っていたものです。
いろいろなデザインのものがある中、どうしてこんなマニアックなデザインにしたのか、まさか、かつて化学を学んだことが懐かしかったわけでもなかろうに、よほど選ぶに困ったとみえます。
でも、ちょっと目に触れるところにおいておくことにします。
もしかして、おチビさんたちが興味を持つかもしれません。「教育おババ」かな。

シクラメンの色

20100212161003
冬の間、地下街の階段やショーケースを彩っていたシクラメンは、桜草やチューリップに置き換えられています。
すりガラス越しの淡い光が合うのか、家のシクラメンは、まだまだ元気です。
お店で選んだのは、オレンジがかった可愛いピンク色の花だったのですが、家で開く花は少しずつ白っぽくなってきました。
「出荷する前に色水を吸わせるのでは。」なんて、邪推だと思いたいのですが、去年も、花びらの先がピンク色だったはずなのに、白いシクラメンになってしまいました。
変わった色を選ばないで、シクラメンらしい色にしておけば春まで色が変わらないのかしら。