
今日は、母の90歳の誕生日です。
毎年、誕生日には母に会いに来ていた兄も、この時期、インフルエンザやノロウィルスの感染予防のため面会謝絶になったことが続いて、期日をずらして会いに来るようになりました。
でも、やっぱり誕生日なのです。
母にとってうれしいこと、息子に会うことを措いたら、何なのでしょう。
認知症と診断されたのは、もう何年も前なのに、「最近なんかボケてきた。」「なんだか歳とってきた」と気にかけたりする母です。気に入った写真はポケットに入れてクシャクシャになっているかとおもうと、家族と写した写真も、自分の顔だけ千切りとっています。
施設に入所した母は、家にいた頃よりずっと落ち着いて、体調も安定しています。「年老いた親を施設に入れる」ことを後ろめたく感じ、それが最良のことだったと思うとは、正々堂々とは言えない風潮を感じてしまいます。
でも、「母は私の傍でボケたくなかったのだ」と思うのです。それは、私への思いやりでもあり、母の誇りでもあるにちがいないと思うのです。
公園の陽だまりで、温かいお茶を飲みながら、幼い頃聞いた昔話を繰り返すと涙を流して笑う母。今日は雨なので、散歩はできないけれど、お気に入りのレディグレイを一緒に飲んできます。
観梅

節分の日は、昼を過ぎても気温が上がらなかったので、観梅は一週間伸ばしました。
やっと、2~3分咲き、今日にしてよかった。
携帯を新しくして、万歩計が復活したので「5000歩になるまで進もう」と歩き始めました。
センダンソウの実がアールにくっつかないか心配したり、立ち止まるアールを待つこともありません。アールを連れてくるときは車を使ったのですが、公園の奥まで歩いても、まだ4000歩でした。
気ままに梅園を巡って出口で5200歩、すこし遠回りをして帰ってきても、一万歩には届きませんでした。
残念だったのは、冠毛をちょこんと載せたヒバリをカメラに収めたかったのに、間に合わなかったことと、枯れ草の空き地でチッチッと澄んだ声でさえずる小鳥の姿を、どうしても見つけられなかったことです。


鈎針いれ

手作りのペンケースをいただきました。
優しい花柄の布とアクセントのレース、裏地まで吟味されています。
筆記用具を持ち歩くことが、ほとんどなくなってしまっているので、ペンケースにして宝の持ち腐れになってしまうのが惜しくて、鈎針を入れてみました。
大きさもぴったり。
小道具と一緒に箱に入れていた鈎針を全部集めました。
ファスナーを閉めると、掌におさまる感触がとても懐かしく、中の鈎針がカシャカシャ軽い音を立てます。ころころ落ちてもすぐ分かるので、私向きです。
しっかりマチがとってあり、大きく開くように丁寧にファスナーが付いているので、中がよく見え針も選びやすいのです。
細部まで行き届いた手作りの品から、作り手の知恵と温かさが伝わります。
モズの声?

朝の冷え込みはきつかったけれど、雲ひとつなく晴れ渡っています。
ジョン、ジョン、としきりに鳴く声。電柱の上に伸びる金属棒の先端で啼いていました。
たしかに縄張りを主張するような啼き方、目を凝らして見上げると、ずんぐりした体型、きっとモズです。
お日様の暖かさを賛美するかのように、小鳥たちがさえずっています。
家の中はシンと静かな休日の朝、パソコンのマウスを操作する手を冷たく感じます。
今年、右手にしもやけができました。何十年ぶりのことか・・・
パソコンの前に座ると、いつもアールが傍にいました。ときどきアールのお腹をなぜながら、「左側に来てくれるとマウスが使いやすいのに。」なんて思っていました。
アールのおかげでしもやけにならなかった、と納得してしまいました。
編みかけのセーター

編み始めたのに途中で放り出してしまったのが、ずっと気になっていました。
途中で諦めないように、糸にもお金をかけたのに完成できなかったセーターです。
紙袋に入れて戸棚の奥に入れてあったのが、ときどき手に触れて「なんだったっけ」とのぞき、「アッ」とまた奥につっこんでいました。
自分のセーターを編みたくなったのは久しぶりです。
紙袋から出してみると、後身頃と前身頃の襟ぐりの途中まで編んでありました。
見ただけでは模様編みの編み方が分かりません。すこし解いてみたのですが、細部に確信が持てません。
本を見ながら編んでいたのは憶えているので、本をさんざん探しました。
やっと見つけたのは、17年前の本でした。17年間も眠らせ続けていたのでした。
たしかに、自分のセーターを編もうという気にはなれなかった17年間だったのかもしれません。
17年前の本には、今見ても「いいな」と思う、色や編み方のセーターがたくさん載っています。同時に、「そう、こんな感じだったのよね。」というファッション。
本のとおりにしないで、袖丈や裾をすこしアレンジして完成させたいと思っています。
一緒に見つけた編みかけのスカーフ、だれのために編んでいたのか・・・。この色合いは、もう歳に合わないでしょうね。
編図

編み込み模様や模様編みをするときに手放せないのが編図です。
本の写真を見るなどして編み方を選んでから、編図にそってためし編みをしたりゲージをとるなどして準備をします。全体の編図がきちんとできると、編む手順のイメージも固まっていきます。
でも、記号で表しているのに、編図は世界共通ではないのですって。
アメリカでは、編図は普及していなくて、編み方を言葉でつづって説明していると聞いて「それでよく完成させられる!」と驚きました。
編み物の本には、部分を拡大するなど、とても丁寧に編み図を載せ説明しているののも多いですね。
でも、間違っているものも結構あるんですよ。
先日も、娘が電話をかけてきました。うれしいことに、編み物については私を信頼してくれているのです。
電話での編み物相談は難しいので、同じ本を持っています。
丁寧な編図だったのですが、ぐるぐる回って編む縁編なのに、毎段引き返すような矢印が書き込まれていたのです。
目の上の瘤?

昨日、「立春にしては寒い・・・」とメールに書いたら、夕方、娘から「今日は節分で、立春は明日」という書き出しの返信がありました。
たしかに立春は今日だけど、「まあ、そのくらいいいじゃない。」
「若い」といわれることが最高の賛辞で、老いることと戦い続けたような母を見ていたので、私は「歳相応に老いも受け入れたい」と思っています。だから、ちょっとの言い間違いやぼんやりしている自分を大目に見てしまうようになってきているのかもしれません。
娘の厳しさに、「『曲げられない女』にしても、もうちょっと可愛い気のある言い方にして」と言いたくなるのですが、私はまだまだ、「ビシッ」と突っ込みたくなる目の上の瘤なのでしょうか。
立春の散歩
散歩というと「アールがいてくれれば・・・」と思ってしまいます。
寒い立春ですが、道端にはイヌフグリの青い花が風に揺れ、地面にくっついているタンポポも綿毛を飛ばしていました。
ツグミを見つけると、ツグミも首を伸ばして気配を察知し、「そんなにたくさんいたの」と思うほど、一度にさっと飛び去ってしまいます。ツグミを間近に見るには、アールのようにのっそりゆっくり歩かなくてはならなかったようです。
ムクドリは頓着せずに畑を歩き回っていました。
午後暖かくなったら、アールとよく歩いた公園に梅見に行ってみようと思っています。
模様編み

寒さは厳しいですが、日差しが明るくなって、チューリップやユリの芽が育ってくると、なんだか明るい色のセーターを着たくなってきます。
桜色の毛糸で花咲く春を想うセーターを編みました。
木の葉編みとポップルのセーターとダイヤ柄の地模様に花の刺繍をしたセーターです。
ダイヤ柄の地模様はシンプルに見えるのに、きれいに模様がつながらなくて、全体の編図をなんども書き直し、ためし編を繰り返しました。増し目をしないことにしてやっと編み上げました。
苦心したものが出来上がると、ほんとにうれしいですね。
急いで*MOKO*ショップに掲載しました。
セロリのピクルス

今は、セロリの旬だそうです。しゃきしゃきした歯ごたえもみずみずしく甘みがあります。
三日前に買った、葉っぱまで元気なセロリを漬けました。食べやすくて食が進みます。
①セロリは1~1、5cm角、漬けるビンに合わせた長さに切って、立ててビンにぎっしり詰める。
②酢:醤油を1:1に合わせて粉唐辛子を加え、熱湯を加えて2倍量にする。
③すぐに②を①のビンの口まで注ぎふたをして、さめてから冷蔵庫に保存。
半日後くらいから食べられます。
****************
子育て奮戦中の時期、古い職員住宅のお向かいの奥さんに教えてもらったレシピです。
子どもたちもよく一緒に遊んでいました。
あれから、何度も転居しました。ずっと同じ地に住み着いてご近所づきあいをはぐくんでいたら・・・と、ふと思います。

