
母に会いにいって、いつも感心するのは、施設職員の気持ちのいい応対です。
身体の不自由な入所者も多いので、毎日の仕事は重労働だろうと思います。でも、私が帰
るときには「ありがとうございました」とさわやかに挨拶して送ってくれます。
今、母を担当してくれているのは、ちひろさん。しっとりと落ち着いていて、母の健康状態や言動を細やかに見ていてくださいます。
今はもう、この施設を去られていますが、母を施設にお願いするに当たって、大きな力をいただいた方がいました。
デイ・ケアからの長いお付き合いで、一時期、「きつい言葉で、周囲の人を泣かせてしまうので、ここでは世話できません」と言われたこともありました。他の施設を回ってみても、彼女ほど母の気性をきちんと把握してくださる方はありませんでした。
入所した当初、「こんな方もいらっしゃるのか」と思うほど穏やな方と同室にしてくださったのも、彼女の配慮だったに違いないと、今も思っています。まるで魔法のように母は落ち着き、大切な友だちをいただきました。
ユリの芽

昨日まで、無傷で伸びていたユリなのに、こんなに葉が痛んでいます。
秋に6球植えた球根ですが、しっかり伸びているのはこの一つだけで、もう一つは芽を出したのにちっとも伸びず、残りの4球は跡形もありません。
球根を植えた辺りが掘られている跡をなんども見つけました。
ユリネの味をしめたネズミの仕業かと、「特別のご馳走」を仕掛けたのに、それはちっとも減っていません。
根や芽だけでなく、葉も食べたのは、やっぱりネズミなのでしょうか。
アールがいなくなったことは、こんな被害にもつながっていました。
ただ、いてくれることがとても大きいことでした。
歩いてます。
さあ、万歩計をかばんに入れて、出発。
今日は、北に向かいます。
飛びたたったイソシギについて、用水にそって曲がりました。水中には大きな魚、コガモもいました。水の流れは自然を感じさせてくれます。
畑の中の用水に沿った道は、柔らかい草の感触です。どこまで行っても、元気だったアールと一緒に歩いたことのある道です。
大きなシラサギ、ゴイサギ、ツグミ、ヒヨドリ、ケリ、シメ、ジョウビタキ、メジロ、もちろんハトやスズメもたくさんにました。なにやら長いものをくわえていたカラスは、葉を落とした木の枝の間に巣を作っているところでした。
午前中の方がトリが多いのか、それとも、さらに一歩春に近づいているのでしょうか。
『沈黙の春』じゃないよね、と言いたいほど、たくさんのトリに会えました。
朝寝

ベットの中で聞きなれない小鳥の声を聞きました。障子を開けたら逃げてしまうでしょう。
シジュウカラかしら・・・
コツコツと聞こえるのは窓の下のオリーブにコゲラが来ているのかも・・・
明け方まで寝付けなかったので、ベットのぬくもりから離れがたく、見えないのをいいことに、いろいろ想像していました。
間違いをきちんと指摘して諭すのが苦手です。
唖然とした言動にも、言葉をのんで庇ってきてしまったと思います。
十年以上、厳しさを忘れて、甘やかし続けていたのでした。
初めての苦言に、過剰に反応している。
しばらく静観するかな・・・ここでも黙っていないで、的外れな反論をいさめなくてはいけないのかな。
母の言葉

母の言葉には、翻弄され続けてきたように思います。
私を見て「きれいね」と言う半分は、身にしみついている社交辞令。
母は、人と接するための言葉を操り続けていたと思うのです。「嘘ではなくても正直ではない。」本心をずらして表現している言葉を、そのまま真に受けてはいけないと学ぶまで、痛い思いもしました。
自己制御の縛りが緩んでくると、機嫌のいいときには、だれかれかまわず自慢話を始めました。かなわなかった夢も、いつの間にか華やかな手柄話になっていました。
そんな母が、「さみしい」と言いました。率直な気持ちを表現した言葉が、わたしには新鮮でした。
薄化粧

昨日は、母に会いに行って「面倒くさくて、くたびれた」と思いました。
ちょっと寒いけど、梅を観にいきました。
「今日は誰もいなかった」と言うので、「みんなで一緒にタオルたたみをしていて、全部キレイにたたんでから来たでしょ。」「おお、そうじゃった。」と言うのも束の間、また、「今日は誰もいなかった」と繰り返し続けます。
どこかで引っかかっているように繰り返す言葉が「誰もいなかった」のこともあれば、「ご飯を食べていない」とか、「何歳になったのか」の日もあります。こんなときは「そうだった」と答えていても、何も耳に届いていないのです。
「梅が見ごろね」と言っても、視線を追うと梅の木は眼に入っていません。視野が開けて、なだらかな梅林が見渡せるところでは「ほーたるのやどは・・・」と歌い始めました。「夏の歌ね。」風は冷たく、ちっとも夏らしくないのに、「いいきもちだから。」
会話は、ちっともかみ合いませんでした。
でも、日ごろはUVカットのクリームだけですが、母に会いに行くときには、髪をシニョンに結いなおし、薄く化粧もします。
気紛れではあっても、ときに、しげしげと私の顔を見て「きれいね」なんて言うのは、母だけですから。
あしかけ17年

編みかけのまま眠らせていたセーターを完成させました。
80%シルクの糸を10玉買ってあったので、セーターを編んだ残りで、べつ衿とマフラーが編めました。
たっぷりのオフタートル、流行のマフラースタイル、涼しく衿なし、と3通りに楽しむことにします。
さえずるヒバリ

空でさえずるヒバリを頑張って撮った写真を見て、思い出しました。
次男の小学一年生の初めての参観日は「こくご」でした。
教科書には、春をえがく文と、ヒバリの絵が載っていました。先生からは、絵を読み解く質問。お母さんヒバリと赤ちゃんヒバリの答えが出て、手を上げる子がいなくなったのに、次男はまだ一人手を挙げ続けていました。
空の小さい点を指して「お父さんヒバリは、遠くの空から見ている。」
ほのぼのとした家族像、とちょっとうれしく思ったのは若かったなぁ。
草原に踏み込んで遊びほうけていた次男、もしもヒバリの巣を見つけたら「宝物」だったことでしょう。家族観とは無関係、「見守っている」と解釈したかったかもしれないけれど、ただ「遠くの空にいる」と言っていたのかもしれません。
空のヒバリがのども裂けよとさえずるのは、自己主張。現に、このヒバリだって、声を限りにさえずっていたから、カメラに収まり、インターネットにデビューしている。
メジロの婚活

今朝のメジロは、ハイテンション。
小さいからだから、途切れる間もなく、精一杯声を張り上げています。
春。エネルギー、生命の継承。
睦まじいペアになって、いっしょに山茶花にきてね。
そういえば、スズメも大きい群になって竹藪で騒いでいました。ムクドリも群の中で婚活中?
愛しくおもうこと

アールの写真の中で、最近ほほえましく思うのが、この写真です。
一生懸命こっちにくるけど、「前が見えないでしょ。」
子犬の頃だけでなく、大きくなっても無頓着にワッサカワッサカ進むアールでした。散歩のときには、汚いもの危ないものを踏みつけないように足元に気を配り、前後からくる車、すれ違う人も気にかけていました。
犬と暮らすことを懐かしく思っても、もう、アールのようには付き合えないと思うのです。

